物語(ナラティブ)的医療 私感

物語的アプローチというのは1988年から著述があるようです。以前より傾聴、インタビューあるいはコミニュケーション技術がありましたが、傾聴の一つの技術形態として、出現したようです。
Adler HM. The history of the present illness as treatment: who's listening, and why does it matter? Journal of the Board of Family Physicians. 1997; 10(1):28-35. 引用分


Narrative Based Medicine: Dialogue and discourse in clinical practiceをよめばEBMと対立しては存在し得ない概念であり、EBMの補完的というより、重要なエッセンスとなっています。

具体的にも・・・
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Narrative-based Medicine
BMJ
病気の経験の“物語的”側面、臨床的方法の直感的・主観的側面を評価することを、evidence based medicineの原理を拒否することではない。意志決定において、個人の逸話に重きを置くのであるが、それは、“エビデンス・ヒエラルキーの転換を要求するものでもない。臨床の場における主観性の必要性を除去するどころか、純粋なevidence based pracitceではユニークで複雑な患者の疾患経験を具有するパラダイムを現実的に前提としている。
臨床医が個々の経験、患者の個人的特性、文化的特性といった観点でエビデンスのあらゆる側面を注意深く描写する解釈上のパラダイムのうちにあるだけでなく、臨床研究トライアルや観察研究などの結果が相乗的な臨床判断をもたらすこととなる。
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などとかかれております。

EBM(Evidence Based Medicine)はSackettが言い出しっぺで、これも別にそうそう独自の体系を打ち上げたわけでなく、彼自身の著作も"Clinicla Epidemiology"ですので、単に臨床疫学で良いわけです。なぜか、彼自身は突然活動停止してます。EBMなるものが一人歩きしすぎたのでは・・・EBMはかなり歴史的意義はあると考えてます。小学校の算数程度で計算できる方法が紹介されておりますし、臨床実地的判断根拠を客観的に提示できる手段がある共通認識の上でできあがったわけですから。

患者さんのストーリーを考えなさいというのは、昔から良くやられてました。
内科系の医師で学会で症例報告をしたことのないひとはいないと思いますが、症例報告をするときに、たとえば重症喘息の患者さんの報告をする場合、それとなくストーリー性が必要とされます。物語的に患者さんの物語を傾聴し、物語をまとめ、医師側の物語が出てくる(ここにEBMの技術が必要と思いますが・・)

大変よろしいようですが、外来3分診療をせざる得ない日本でほんとに可能なんでしょうかねえ。1日5人程度しか使えない技術だと考えますが・・
それと、主観性重視技術は、客観化的評価も難しい、技術習得にも時間がかかる、一人合点・自己満足的診療になるのではないかと思います。


表層的なブームにはなりにくいテクニックだと私は考えておりますが、コミニュケーション技術とともに、今後の医学教育、生涯教育の重要な一部門でしょう。ただ、EBM以上に現実的ではない・・

もうすこし勉強してみますが・・

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ナラティブ名人たちは、“我々は袋小路に陥っている”と、自覚している”らしい・・・

by internalmedicine | 2004-04-16 12:15 | 内科全般  

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