あらためて科学を問う...

東日本大震災と原発事故問題に関し、安全性を担保できず、”想定外”、”未曾有”などとの賜り続けた東大・東工大・長崎大学・・・の学術専門家たち

東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 中間報告書
2011年 12月 26日 21:04 JST
http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_366026



「一般市民は科学や技術の知識が欠如しており、専門家が正しい知識をわかりやすく伝えることが重要だ」という「欠如モデル(deficit model)」が、この問題後も実は確たる地位を占めている。

一般市民の上記学術専門家たちへの不信感は高まり、安全性に疑問を呈していた(いる)専門家(別分野の専門なのに専門家を装う学術専門家)にすがりたい一般市民の心的動きは、この「欠如モデル」で説明出来るのかもしれない。悲観的であればあるほど、それを信じようとする「信頼の危機」は、別の信頼元を探しているのである。
参照:http://hideyukihirakawa.com/docs/20110518costep.pdf

トランス・サイエンス(科学に問うことはできるが、科学(だけ)では答えることのできない領域があること)の問題は、前述の古典的権威たちの立場からは相矛盾する話である。彼らが科学という権威により、その信頼性が担保されていたのだが、"信頼性欠如”のため、彼らの意見は悉く疑問を持って一般市民に受け止められることとなった。

英国のBSE問題で、「専門性(expertise)」が行政施策や社会的選択上重視される一方、その妥当性や信頼性がますます厳しく問われている「専門性のパラドクス」の問題。英国では、この問題の解決には、専門的意見作成プロセスの透明化、アカウンタビリティー(説明責任)、「専門の民主化」(Democratization of Expertise)が必要であるという結論に達している。専門の民主化とは具体的には絶えざる専門家・市民・行政施策策定者対話重視である。
(日本の原発事故後の行政は真逆のことを行い続けた)


もうだまされないための「科学」講義
http://amzn.to/tnBl6p
・・・ってのを読んだ。良著だと思う。

だが、”エコナ”問題の部分には、意見を異にする部分がある。臨床医学的なアウトカムが念頭にない著者のようで、”有益性”に関するエビデンスのなさ、トランス型脂肪酸高含量問題を無視して、発がん作用だけを議論のテーブルにおいて、消費者がいちゃもんつけているような記載になっており、問題の狭小化と、責任を一部メディアの方に振り向けている。遺伝子組み換え作物の環境への影響に関しても”人類が長く食べ続けて安全師を証明してきた食品など存在しない...遺伝子組み換え作物だけが批判されるのは不公平..”というのが規制への反論というのは・・・ちょっと。この項の執筆者の記述には同意できない部分が多かった。



”科学の定義”と、”科学と科学で無いものの”

mode 2
Mode 2 is a concept that is often used to refer to a novel way of scientific knowledge production, (or rather its "co-production"), put forth in 1994 by Michael Gibbons, Camille Limoges, Helga Nowotny, Simon Schwartzman, Peter Scott and Martin Trow in their book The new production of knowledge: the dynamics of science and research in contemporary societies(Sage). It is also the nickname of a graffiti artist born in Mauritius 1967.
http://www.edurite.com/kbase/difference-between-mode-1-and-mode-2


科学技術のありようを2種類に分け、伝統的な(正統派の)科学技術のほうをMode 1と名づけ、Mode 1で説明できない科学技術のほうをMode 2と名づけて科学研究のシステムを文化多元主義的に論じた書物が、話題になっている
http://stsnj.org/nj/essay96/kankyo.html

"mode 1"は、academic, investigator-initiated and discipline-based (アカデミックな、研究ベースの、学問分野的知識産物をもたらすもので、従来、学問領域として基本的なもの
e.g.) 物理学、生物学

"mode 2"は、problem-focused and interdisciplinary(問題起点、学際的)なもの研究。
e.g.) 環境学、情報学



local knowledge
http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/030106localknow.html

Rather, all communities possess local knowledge - rural and urban, settled and nomadic, original inhabitants and migrants. There are other terms, such as traditional knowledge or indigenous knowledge, which are closely related, partly overlapping, or even synonymous with local knowledge. The term local knowledge seems least biased in terms of its contents or origin. As it embraces a larger body of knowledge systems, it includes those classified as traditional and indigenous.
http://www.fao.org/docrep/007/y5610e/y5610e01.htm


伝統とか、多くの経験の中で獲得されてきた知識というニュアンスで、記載・言及されるようだ。



CUDOS
http://www.enotes.com/topic/Mertonian_norms
In the original article from 1942, Merton defined CUDOS in a somewhat different way as: Communism, Universalism, Disinterestedness, Organized Scepticism. However, in contemporary academic debate the modified definition outlined above is the most widely used (e.g. Ziman 2000).

共有主義(Communalism)、普遍主義(Universalism)、利害の超越(Disinterestedness)、組織的懐疑主義(究極の知識との主張を鵜呑みにしない不信仰的態度)(Organised Scepticism)
http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/paradigm/ethos.htm


神経神話(neuromyth)
「ヒト脳機能の非侵襲的研究」の倫理問題などに関する指針改定に当たっての声明(2010年1月8日)
http://www.jnss.org/japanese/info/secretariat/100115.html
"脳の働きについて、一般社会に不正確あるいは拡大解釈的な情報が広がり、科学的には認められない俗説を生じたり、或いは脳科学の信頼性に対する疑念を生じたりする危険性が増大している。... 脳科学の発展と進歩の礎は、被験者やさまざまな関係者を始めとする社会からの信頼を獲得し、研究の社会的有用性と意義を十分に認識してもらうことにある。特に、非侵襲的脳研究は人の尊厳に直結した「心」の領域をも研究対象とすることから、例えば、“心を操作されるのではないか”といった、危惧や懸念を社会に引き起こすことのないよう充分な配慮が求められる。 "
→ neuromyth: http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20100427/182212/



by internalmedicine | 2011-12-29 15:30 | 医学  

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