剖検の価値
2007年 04月 28日
地方の医療機関の感覚からいえばほぼゼロに近いのではないだろうか?
私が勤務医の頃は、大学病院や専門施設では剖検の許可をとるのが当たり前と思っていたが、大学関係者から聞くと剖検の許可がとれないと嘆かれており、全国的な趨勢のようである。
世界的にも剖検率が減少しているようだが、日本はもともと剖検率が少なく、ほっておけば絶滅しそうな情勢のようである。
“最後の診断”(final diagnosis)と呼ばれる病理が診断の一般的な黄金律である。その黄金律に照らしたときの医師の誤診率、今回のLancetの記事で採用したものでは、約3割である。
昨今、医師の誤診率というのはなにかと話題になる。
誤診、すなわち、刑事罰・行政罰・民事罰を与え、患者やマスコミの前で、土下座せよと迫られることが多いのだが、もともと、臨床診断というのはその程度の誤謬性を具有する蓋然性があるのだ。それを罰しろというのであれば、罰を受ければよろしい。医療という制度や医療関係者自体が世の中から無くなるのも仕方がないのである。
そして、その黄金律である“最後の診断”を得る機会も少なくなり、医師の自己研鑽や医学の発展を障害しているのである。
The Lancetにて“剖検はもはやその権威を失い現代の医療では周辺的役割しか持たない(www.thelancet.com Vol 366 November 19, 2005 (pdf))という主張が掲載されたことがある。
これに真っ向から否定する論が掲載された。
Clinical, educational, and epidemiological value of autopsy
The Lancet 2007; 369:1471-1480
現代の集中的な臨床的検査が発達してはいるが、剖検で生前診断のエラーとして30%ということが判明することがわかっている(引用論文:Arch Intern Med. 2004;164:389-392. )。
剖検は現代の生前診断過誤を明確にし、剖検は医療戦略の基礎となる国家的な死因統計を補完し、信頼性を改善するものである
剖検は薬剤副作用による死亡原因の発見に決定的役割を果たすこともある。
心血管、中枢神経疾患のような生検が簡単でないところでの疾患や新しい治療が急激に発展している分野への知識を深めるために、剖検は重要な位置でつづけるのである。
世界的な剖検率
オーストラリア 21.0%(1992-93) → 12.0%(2002-2003)
フランス 15.4%(1988) → 3.7%(1997)
ハンガリー 100%(1938-51) → 68.9%(1990-02)
アイルランド 30.4%(1990) → 18.4%(1999)
ジャマイカ 65.3%(1968) → 39.3%(1997)
スウェーデン 81.0%(1984) → 34.0%(1993)
UK 42.7%(1979) → 15.3%(2001)
USA 26.7%(1967) → 12.4%(1993)
臨床的剖検率と影響要因
法律
•同意を得るための必要要件
•罰則
要求率
•臨床教育の臨床専門性と経験蓄積
•剖検に対する給与外報酬
•生前検査
同意率
•宗教
•民族的起源
•文化による態度
•メディアの描写
•社会的な認知
メディアの描写というのは、“白い巨塔”、“Final Diagnosis(Arthur Hailey)”などがドラマ化などされて日本でも人気を博したと思う。私なども病理医ってのは“かっけぇなー”と内心あこがれた。
最近は病理は生検でのニーズが増大しているのだとおもう
現在1,860 名の専門医の広告をしている
グラフのように明らかな地域偏在がある
米国にくらべ人口比医師比とも病理医が少ない
グループより一人病理医の形態が多い(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2004/11/dl/s1130-11d.pdf)
日本の医療の普遍的問題である、医師数の絶対数欠如と偏在、医師の待遇、チームとして職務遂行不能という問題がある。政府は医療の現実に予算を合わせるのではなく、予算に医療をあわせてきた・・・その矛盾がこの国の医療の迷走そのものなのである。一度、こわれたものは元に戻るには相当の時間がかかる。
by internalmedicine | 2007-04-28 08:19 | 医療一般