フランダースの犬 ・・・ 日本人の特殊な情

朝、テレビを見ていたら、この話題が・・・読売新聞にも(「フランダースの犬」日本人だけ共感…ベルギーで検証映画)という記事が掲載されたようだ。クリスマスにちなんだ悲運の物語として日本で知られる「フランダースの犬」を“検証”するドキュメンタリー映画を作成したもので日本人への興味がこの映画作成の発端ということで話題になったようだ。



Culture: “A Dog of Flanders” revisited
http://crossroads.journalismcentre.com/2006/a-dog-of-flanders-revisited/

医学に関わる事象・事件の多くに"日本人の情”の問題が関係してきていると思う。
マスコミの扇情的報道にシンパシーを感じるのが日本人なのだろう。
この"情”の問題を避けて様々な問題は解決しないのだろうと思い始めてきた。


"フランダースの犬”のアニメシリーズのドラマチックシーンは全ての日本人のもっとも記憶にあるところで、日本人の多くはNelloの死んだの最後のクリスマスイブの日にかれが感じたことを考えて涙することを不思議に思わない。


・・・この日本人の一般的な感情を驚くのである。


日本アニメが世界中でポピュラーになり、日本人の思想や嗜好、感情がそれらの作品にちりばめられていることにより、日本の文化というものをかれらも意識するようになるのだろう。


“But a more important factor is the cultural difference in the acceptance of sad endings,” adds Didier. “Unlike the Japanese, we do not have the tradition of telling sad tales to our children.”



"悲しい結末を受容する文化が日本にはある”・・・と述べている


西洋には、死ねば終わり。だが、アジア人は死を失敗とは考えない。真心を持って命を捧げることは永遠のヒーローとなる目的を達成することとなる。まさにNelloの死そのものなのである
私にはどうしても理解できない「忠臣蔵」が永年もてはやされているのと合致するのかもしれない。

私はこの分析がすべて正しいとは思わないが、日本人の「死」に対しての思い入れというのは西洋のものとは少なくとも異なることは確かと思う。


日本でのモラル教育の基本はempathy(共感)である。他の人がなにを考えるかをまず考えさせ、いかに振る舞うかはそれによってきめるというもの・・・「あなたがこんなことしたら、他の友達はこう考えるよとか、母が悲しむよ」と言い聞かせるのが日本の教育。対して、米国では、親・教師は"権威者”として振る舞い、なにが正しいか間違いかを単純に教える。

このempathyは良い面もある・・・社会的秩序を保つためには、、日本的企業や地域の温存のためには・・・
だが、国民的規模のepmathyの暴走がきわめて危険な状況を作り上げることがある。実態との乖離した虚像のもとメディアが"社会的悪者”を作り上げ、国民の共感とともに情緒的暴走を起こしていることを否定できるだろうか?



ひょっとして・・・敢えて、「フランダースの犬」の最終回を見なかった私は日本的なempathyはないのかもしれない。

by internalmedicine | 2007-12-25 10:04 | その他  

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