裁判官

裁判所に一般住民はなにを期待しているのだろうか?
各裁判官の心情や信念・法律論を具現化してほしいなんて思っている住民はいないだろう。あくまでも法律と提出された証拠に基づく、公平な裁判をしてもらいたいのだ。
そうでない裁判官には引退していただきたい・・・そう思うのが当然だと思うのだが・・・


昨土曜日にTV放映された「それでもボクはやってない」という映画をみて日本の裁判所の問題と恐ろしさを改めて感じた。

裁判というのは、公正・公平であり、裁判長の意見も当然両者公正であるという幻想を多くの人達が持っていた・・・それがまちがいであるということを私ら衆愚に知らしめたという面で非常に重要な映画であった。


自分の主張を最優先する裁判官たちは、判決という結論が先にあり、証拠の比較を公正にするのではなく、自分の結論を理屈づけするために裁判をコントロールし、ある面では原告・被告の言質をとるため質問をし、証拠採用を積極的に勧めたり、拒否したりするのである


フィクションと言い切れるだろうか?

有名な藤山裁判長なるひとがいる。“一部の市民団体は、勝訴し易い民事3部に事件が配転されるまで訴えの提起と取下げを繰り返すという訴訟戦術をとっていた”と称される裁判官である。

「藤山判決」の特徴は、
行政訴訟の原告資格を緩やかに解釈するなどして原告救済の可能性を広げる一方、行政側の怠慢には厳しい態度で臨み、これまでの「裁判官の常識」を変えた点にある。(http://www.j-j-n.com/su_fu/past2004/040801/040801b.html


藤山雅行裁判長の考え方(引用:http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2007/01/juge_1e70.html)
原告患者側に証明責任がある事項について被告医師側に情報が集中し、それを積極的に明らかにしていかないと、よく分からないまま終わりということになる。被告医師側が、原告側の主張は特定不十分だから明確にせよと求釈明するに終始して具体的事実経過を説明しようとしないと、具体的事実関係が明らかにならないまま、原告敗訴の結論だけが出る。それはとてもレベルの低い争いであり、それでは訴訟の目的を達したとはいえない


ノーガード戦法を許さない
最近の医療関係者の言動では、患者に選択を任せてしまって、医師の立場での最良の診療方針を示すことを怠る傾向があるという。下手に診療方針を示すと、思うような結果が出なかったときに責任を追及され、しかも患者から他の方法を選ぶ機会を奪ったなどといわれかねないので、考えられる選択肢をただ並列的に並べて患者に選ばせて、その選択結果には医師は責任を持たないという、そういう傾向である。




警察・検察制度だけでなく、裁判制度そのものを考え直す時期なのだが・・・


ref.

裁判官が日本を滅ぼす (新潮文庫) (文庫) 門田 隆将:amazon

裁判官はなぜ誤るのか (岩波新書) (新書) 秋山 賢三:amazon


取調べ可視化 最前線 http://blog.kashika-suishin.com/
日弁連: 取調べの可視化(取調べの全過程の録画)実現 :http://www.nichibenren.or.jp/ja/special_theme/investigation.html

by internalmedicine | 2008-03-03 11:54 | 医療と司法

 

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