アメリカ大統領選:医療施策パルチザン・ディバイド



アメリカ大統領選だが、候補者二名で、医療施策に大きな違いがあるとのこと

The Partisan Divide — The McCain and Obama Plans for U.S. Health Care Reform
N Engl J Med Vol.359:(8) 781-784 Aug. 21, 2008

マケインはマーケット力で支配し、個々の保険購入を促進するというもの


一方、
オバマの方はマケインのキャンペーンでは、税控除の不均衡の増大を生じルという指摘、アメリカ人全体に均等なクレジット、連邦財源の謹厚な割り当てを主張している。税控除は使用者側スポンサーの保険社のみ利するもので、被雇用者やcoverageが不十分なものにとってはマケインのプランではクレジットが充分ではない。

マケインのプランでは、コストコントロールは、競争原理(spurring competition)を利用して、質(status quo)を変えようという主張。保険マーケットの州毎の規制を排除し、国家的な商売をしてもらおうという話。




アメリカ医療施策、とくに、保険制度は岐路に立たされている。市場原理に基づく施策を推し進めるマケインか、ケリー・クリントンよりトーンダウンしたオバマの国家全体によるクレジット増大か?



駄文:日本の皆保険制度ってのがはたしてよいのか?・・・最近、思うようになった。おそらく世間では逆だろうが・・・たとえば、福島の産科事件などは、皆保険でなければ違った形の展開になっていただろう。国民全部が等しく医療を受けることができるという皆保険制度は、一方的な権利関係を作ってしまったのではないだろうか?

昨日、フジテレビの午後11時過ぎのニュースでいつもは納得して聞いている箕輪解説員の話だが、いらだちさえ感じた。医師に過失があるような見方でしかできないのだろうか?“
客観性の担保がなくても、放送されてしまうという、メディアの問題点は、優秀な解説者により、多少は緩和されていたと思うのだが・・・この人でさえ・・・一方向的思考しかできないのか・・・と思い落胆はなはだしかった。

現実離れした無限なる患者側の要求が、産科医療だけでなく、医療のあらゆる分野で、増大している。それに対するコストは増大しているのだが、ご存じのとおり、個々に利用できる診療報酬は減少の一途。・・・ニーズとコストの矛盾はそのままなのだ。この矛盾による制度の破たん。

患者側の要求が自らが支払った医療支出に見合っているかどうか?・・・そういう議論は少ない。
産科の怖さは、子供への慰謝料額の大きさもその一つであり、ミスは不可避で、確率的に生じるものである。そのコストみあう、患者側からの負担はなされているのか?・・・過剰な慰謝料請求がもたらすさまざまな副事象も含めそういった議論ができるためには、一度、皆保険をなくすのもひとつなのかもしれない。・・・ そんなことを考えた福島事件判決の夜であった。

米国が皆保険制度を導入しない理由は、患者サイドからの過度な医療への要求によるコスト無視した要求と、バランスのとれない無限な賠償請求を危惧しているからなのかもしれない・・・そう考えるようになってきた。

医者嫌いの経団連より新聞Sankeiの今日の一節
一方で、これまで数多くの医療事故を隠蔽(いんぺい)してきた医療界への不信感も、患者の側には根強い。

「医療界がこぞってすべての医療ミスで刑事責任の免責を主張するなら、事故調が事故原因究明や公正な判断を下せなくなるのでは、と懐疑的な見方が出てきても仕方あるまい。」
・・・報道過誤は免責状態にあるマスコミさんたちが責め立ている。

医療側への不信を煽ってきたのはメディアである。そして、医者たちは、患者・遺族からの結果責任追及におびえなければならなくなった。そのため、医療は、年々いびつな形になっている。

日本の医療制度は、一度、リセットが必要なのではないだろうか?



社説リンク




【産経抄】8月21日
2008.8.21 02:46
このニュースのトピックス:産経抄

 梓みちよさんが歌う「こんにちは赤ちゃん」は、もともと父親のための歌だった。作曲家の中村八大さんが、長男が生まれたとき、病院のガラス越しに「はじめまして、おやじです」と声をかけた。

 ▼その様子を見た永六輔さんが詞を書き、中村さんが、メロディーをつけて家で歌っていた。NHKのプロデューサーの判断で、お母さんの歌として、昭和38(1963)年に世に出て、空前の大ヒット曲となった。

 ▼しかし、平成16年12月17日、福島県立大野病院で、長女を出産した29歳の母親には、「わたしがママよ」と口ずさむ機会は与えられなかった。生まれたばかりの女児に「ちっちゃい手だね」と笑顔を見せただけで、大量出血によって、帰らぬ人となったという。

  ▼女性に帝王切開手術を行った産婦人科医(40)が、業務上過失致死の罪などを問われた裁判で、福島地裁はきのう、無罪判決を言い渡した。この裁判に対して、医療界は一貫して猛反発してきた。明白な医療ミスではなく、通常の医療行為に対して、刑事責任が問われるようになったら、まともな診療ができなくなる、というのだ。

 ▼事件によって、産科医の不足に拍車がかかったともいわれている。一方で、これまで数多くの医療事故を隠蔽(いんぺい)してきた医療界への不信感も、患者の側には根強い。出産前後の赤ちゃんの死亡率とともに妊産婦の死亡率は、戦後下がり続けてきた。平成18年では、出産10万件当たり4・8人だ。

 ▼それでも、リスクはゼロにならない。新しい命の誕生をともに喜び、万が一、不幸な結果に終わったときは、医師は誠意をもって説明し、遺族は全力を尽くした医師をねぎらう。裁判が、こんなお産の現場を取り戻すきっかけになればいいのだが。



産科医無罪 医療安全調査委の実現を急げ(8月21日付・読売社説)

 医療事故の原因究明や責任追及は、どのような形で行われるべきか。それにひとつの答えを出した判決とも言えよう。

 福島県立大野病院で帝王切開を受けた女性が死亡し、執刀した産婦人科医が逮捕・起訴された事件で、福島地裁は被告の医師を無罪とした。

 女性は、子宮に癒着した胎盤をはがす処置で大量出血し、亡くなった。検察と警察は、胎盤をはがさずに子宮ごと摘出するのが「医学的準則」だった、として業務上過失致死罪などに問うた。

 しかし判決は、「医学的準則」とは同じ場面に直面した医師のほとんどが選択するものでなければならず、今回のケースはその証明がない、とした。医学的見解が分かれる中で刑事責任を追及した捜査当局への批判が読み取れる。

 事件が医療界に与えた衝撃は極めて大きかった。医師が逮捕された後に、全国で多数の病院が出産の取り扱いを中止した。医学生は産科のみならず、外科など命にかかわる手術を行う分野を避けるようになった。

 そもそも、医師を逮捕までする必要があったのだろうか。疑問を禁じ得ない。

 まだ1審であり、医師の無罪が確定したわけではない。だが、医療事故に関して、警察がいきなり捜査に入る現状は危うい。

 刑事責任を問うべきほどの事案かどうかは、まず中立的な専門機関で判断した方がいい。厚生労働省が検討中の「医療安全調査委員会」の創設を急ぐべきだ。

 厚労省の構想では、医療安全調査委は中央と地方ブロックごとに設ける。メンバーは医師だけでなく、法律家や他分野の有識者も加え、中立性を図る。

 予期せぬ形で患者が死亡した場合などに、医療機関から調査委への届け出を義務づけ、遺族からの調査依頼も受け付ける。調査委は個人情報に配慮しつつ報告書を公表し、再発防止策を提言する。

 故意や重大な過失、カルテの改竄(かいざん)といった悪質な事例のみ、警察に「通知」する。警察は調査委の判断を尊重し、通知の有無を踏まえて対応する。

 調査委構想は法案化目前まで煮詰まってきた。ところが医療界の中に、警察に通知する仕組みがある限り反対するとの声が強く、足踏みしている。

 悪質な事例を通知するのは当然だろう。犯罪の可能性があるのに通知しないのならば、調査委ができたとしても、警察が直接捜査に乗り出す状況は変わるまい。
(2008年8月21日01時51分 読売新聞)




論説・あぶくま抄
判決を再発防止に生かせ(8月21日) 

 大熊町の県立大野病院医療過誤事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた産婦人科医の判決公判が20日、福島地裁で開かれ、無罪が言い渡された。判決は産婦人科医の医療行為を「臨床上の標準的な措置」であり、「過失のない措置を講じた」と認定した。
 判決は弁護側の主張をほぼ認める結果となったが、判決を含め15回にわたった公判では検察側と弁護側が真っ向から対立し、医療関連死を司法で裁くことの難しさを浮き彫りにした。医療事故調査の在り方、医師と患者の関係の在り方を考える機会にもなった。
 事件は平成16年12月、大野病院で出産のために帝王切開手術中の女性が死亡。県が医療過誤を認める報告書を公表したのが捜査の端緒となり、産婦人科医が逮捕、起訴された。医療行為上の医師の裁量が過失として刑事責任を問われ、県内外の医療関係者の多くが反発する形で全国的に注目される公判となった。「結果責任で捜査機関が介入するのはおかしい」「現場の医師が萎縮[いしゅく]してしまう」と主張していた医療関係者・団体は判決内容を評価している。
 一方で、1人の命が失われたという重い現実は消えない。「家族がなぜ死んだのか、納得いく説明はなかった」などと訴えてきた遺族側の疑問は解けなかった。生命に絡む医療トラブルが起きた場合、患者や家族の立場から責任の所在を問う難しさについても課題を残した。
 関係する機関・団体は判決の内容を踏まえ、再発防止により一層努めることが必要だ。その意味では、事件をきっかけに、厚生労働省などが検討を加速させた第三者の立場で医療死亡事故を究明する新組織「医療安全調査委員会」(仮称)の発足への動きを注視したい。
 新組織は患者が死亡した事例を対象とし、医療事故の疑いがある場合、警察に代わって医療機関からの届け出を受け付ける。医師や法律家、医療を受ける立場を代表する人たちでつくる専門チームが解剖結果やカルテの分析、関係者からの聞き取りなどをする。報告書をまとめて公表するなどし、再発防止につなげるとしている。
 医師に重大な過失があるとみられる場合には警察に通知する仕組みになっている点などに、現場の医師から反発もあると聞く。同省は今秋の臨時国会に法案として提出、22年度のスタートを目指したい意向のようだ。今回の判決が新組織発足の論議にも影響する可能性はあるが、安全な医療システムづくりを何より優先しなければならない。(戸井田 淳)

by internalmedicine | 2008-08-21 09:09 | 医療一般  

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